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動いてる、音がする 、乗客がしゃべってる、車掌が放送してる! 感動です。北海道出身です。幼少時に何度か親とこの手の客車に乗りました。記憶がよみがえりました。
メッセージありがとうございますやっぱり、動画での記録ってそんなに感動を与える事が出来るのですね。私は、当時自己満足で撮影していたのですけど。私も、幼少期、親とこの手の客車に乗ったのを、忘れられなくて、ビデオを買ったら、記録しておきたくって撮影しました。
味がある旧型客車。余計なBGMやわざとらしいナレーションもなく淡々と車内外の景色と会話を録っているのも素晴らしいです。吹きさらしのデッキでの撮影、寒かったでしょうね。
メッセージありがとうございますこの列車に乗ったのは、最初で最後でした。外の風景の撮影は、緩急車の窓からの撮影でした。寒いと言うよりも、手が痛くなってました。
わかります!ナレーションやBGM、絶対要らないです。無いお陰で、いろんな雑音が聞こえ、良い臨場感出してます。ありがとうございます。
まじ神映像。 絶対伸びる
客席に置いてあるハイCアップルとネット入りミカンが懐かしい!
そういえば、ネット入りみかんってもう売っていないのかな?
もはや芸術作品の域…走行音がまた心地良い。
大井川鉄道で、まだ乗れるのではないかな?昔は、こんなニス塗りの木の車内の車輛が一杯走っていたのです。
昔の列車や乗客の様子等を見ると、なんだか癒される。貴重な映像だ。
メッセージありがとうございます。そんなに、せかせかしていなかったのかな?
懐かしい!この年の夏に両方向(函館⇔札幌)で乗車しました。46列車は札幌駅1番線発車でしたね。逆の下り乗車日、函館駅で待っていたら、駅構内は何故か多くの名前を呼び続けている音声が流れている異様な雰囲気。翌朝、札幌駅売店の新聞見出しで日航ジャンボ機墜落のことを知りました。ネットも携帯もない時代でした。
メッセージありがとうございますこの列車が走っていた時、日航ジャンボ機が墜落した時期だったのですね。123便って、私も昔東京で働いていて、奈良の実家に帰る時に頻繁に利用していました。123便の次の便の航空券を買って、空席待ちで123便に乗ったこともあります。8月16日だったかな?夏の夜行列車って夜風がとっても気持ちよい・・・・北海道は、寒いのかな?ほんと、ネットも携帯も無い時代でしたね。情報と言えばテレビとラジオくらいですね。
昔は、若者が周遊券で夜行列車の旅をして、人との出会いと別れを身に付けていったものです。私の友人で旅先で出会った人と家庭を持った人もいます。今は合理化を追求し、格安のバスか高い新幹線の二者択一しかありません。一部の金持ちしか旅ができなくなり、若者は旅をしなくなりました。そのために人間関係も希薄になりましたね。
メッセージありがとうございますなるほどね。今の若者は旅をしなくなった・・・・スマホなどの普及も関係しているのかな?旅先で出会った人と家庭を持ったって言うのもすごいですね。特に一人旅なんかすると、誰とも話すことが無いので、こんな列車に乗ったら、隣り合わせの人と話に花が咲いたりしますね。私も、色々と思い出があります。
網棚にフタが回る灰皿、テーブルにテーブルの裏の栓抜き、グルグル回る扇風機、昭和時代の記憶が蘇ってきました
メッセージありがとうございます。昭和時代・・・・・ニス塗りの内装、開けっ放しの乗降ドアー・・・・もう、昔話の時代なんですね。
素晴らしい作品です。映像も音声も。地元の人同士(?)の会話のシーンが圧巻です。そして何より、ナレーションや説明が適度な量で、生の映像に多くを語らせているあたりが、昔のNHK特集のような真面目さ、堅実さを思わせます。編集の妙でしょうか。
そんなに気に入っていただいてありがとうございます。昔の戻らない時間を記録した映像。当時は、自己満足の世界で録画した映像なのです。それを、インターネットのおかげで、皆さんに見ていただくことが出来、また、感激していただくことができるのも、今のITのおかげですね。私は、プロではないので、編集もナレーションも、自己流でやっています。まあ、NHK特集なんかは、少し真似をしているかも(笑)
貴重な旧型客車からの画像。30年前にタイムマシンで出掛けてバーチャル旅行を楽しませていただきました。乗客のおじさんの北海道弁の演説(?)がいい味を出していますね(笑)
メッセージありがとうございます。乗客のおじさん、この時代、大体こんな夜行列車に乗ったら、あんな雰囲気でしゃべりまくっている人が必ずいるのですよね。私映画で「家族」って言う映画を見たのですが、あの映画でも、家族が東京から青森へ行く時に、夜行の普通列車に乗っている場面があるのですが、あのようなお客さんが喋っているカットがありました。当然、映画なのでやらせなんですが、「家族」と言う映画を作った映画監督も、夜行列車の車内は、こんな客が必ずいるもんだと言う思いがあったのだと思います。 実際、この映像は、やらせではないですが、ちゃんと居ましたから(笑)
スマホがある今の世の中は好きだが、鉄道だと昔の方が好き。新幹線は正直速くてかっこいいと思う程度。鈍行の方が好きだな。好みとして。
メッセージありがとうございます。新幹線は、目的地に早く行く人が利用する列車で、旅を楽しむのなら、鈍行が良いですよね。
懐かしい、素晴らしい!1980年前後、故あって、何年か毎年冬に東京から道東道北に鉄道で往復しました。最初は、本州から入ると、デッキ、座席、トイレ、驚愕モノでした。今ではいい思い出です。アップされた動画で、なぜ最後尾から撮れるのか、当時は当たり前の解放デッキ。道東など、まだ、混合列車がずいぶんあった、そんな事も思い出しました。ありがとうございました!
メッセージありがとうございます。当時は当たり前の解放デッキ・・・・そうなんです。今、当たり前でも、30年後は、それが、当たり前でなくなっているかも知れないのです。
終点まで乗ると機械の体が貰えそうな車両だな。
メッセージありがとうございます。そうそう、車内はニス塗り。古いタイプの列車じゃないとだめなの・・・・なんてセリフあったっけ。
2:38今見れば最後尾客車の通路鎖二本って…危ないし雪の問題あるし大問題になるね
終点まで乗り通す頃には機械の体になっていそうなシートですね。
ネジにされるなんて嫌だー(涙)
ド〇〇もんじゃないんですから………。まあ、もう30年以上も前の話ですしね。
とても懐かしい列車ですね。自分も夜行列車では良く利用してました。日中は函館本線山線経由の急行ニセコを利用してました。やっぱり山線経由の列車は個人的には好きでした。今ではすっかりローカル線になってしまったけどね。
そうですね。山線は北海道の自然の中を走る線。室蘭本線は、都会を走る線と言う感じかな。
なんと…心温まる客車なんだ…一度乗ってみたかった
メッセージありがとうございます今では、大井川鉄道に、こんな旧型客車が走っていて乗れるのではないかと思います。
幼い時に鉄道というものが好きになって、大人になっても自分の仕事にしてしまうほど鉄道が好きです。自分で稼いだお金で電車に乗れて旅行もある程度自由に行けるようになった今ではもう夜行列車というものは無くなっていました。一度は乗ってみたかったなぁとは思いつつ、”国鉄時代の鉄道ファン”様の動画で充分に雰囲気を味わい楽しませていただいております。やっぱ鉄道って最高ですね!
メッセージありがとうございますその鉄道なんですが、今はJRになって、高速道路が発達し、鉄道を利用する人が減り、赤字路線はどんどん廃止になって、鉄道で旅を楽しむと言うよりも、ただの移動手段になってしまうようでなんか、複雑な気分ですね。また、北陸新幹線開業と、同時に廃止になったトワイライトエクスプレスなんかは、旅を楽しませてもらえそうな列車だったけど、大阪より最後部の個室寝台なんかは、切符がなかなか買えないとか、聞いた話によると国会議員に頼まないと買えないとか、そのくせ、テレビやメディアの取材でさんざん撮影してたり、せっかく旅を楽しめる列車があっても、乗れなキャー同じですね。 そんな旅もいいけど、こんな夜行列車の旅の方が私は好きです。
すごいです!貴重なビデオを見せて頂いてありがとうございます。時空旅行をした気分になれました!
この動画でバーチャル旅行気分を味わってもらえたらうれしいです。
子供だった頃は当たり前に走っていた旧型客車が凄く懐かしいです。貴長な映像をありがとうございます。昔は良かったですね。ノスタルジックに浸り見入ってます。
メッセージありがとうございます。そう、いつも今は当たり前。でも30年後には、当たり前でなくなっているかも。でも、30年前、既に本州では新幹線が走っている時代、こんな旧型客車が走っていた事じたい、当たり前ではなかったのかもしれません。
1983年9月に函館から札幌まで41列車に乗った時の記憶が蘇って来ました。夜汽車、旅情という言葉が似合うよき時代でした。貧乏学生でしたので写真などの記録が残せなかったのが残念です。素敵な映像をありがとうございました。
メッセージありがとうございます「夜汽車」良い響きですね。今は、特急の寝台列車も、「サンライズ出雲」くらいになってしまったのですね。あれって、「夜電車」?
ホント、昭和の素晴らしい映像です。ボックスシートに座る人々の人間臭さと夜汽車の雰囲気が何とも哀愁漂う感じです。今の近代的な車輛とは違う趣がたまりませんね!見知らぬ人とボックスシートに座るって、ある意味、息苦しく感じますが、人々の繋がりって、こうやって出来ていくものなのですね!
そうですね。特に最果ての北海道だから、そして凍てつく冬だから余計そう感じるのかも知れませんね。
国鉄時代の鉄道ファンさんの優しげな語り口調が大好きでよく見させてもらっています私は小学生なりたての、ちょうどJR発足の頃から鉄道ファンですがもう10年、いや5年早く生まれていれば、こうした国鉄末期の雰囲気をもっと味わえたのにと思うと少し親を恨んでしまいます(笑)80年代前半~中盤に個人でこれだけ多くの動画を撮影するのは結構大変だったことと思いますこれからもありがたく見させていただきます。
メッセージありがとうございます。動画撮影までは、写真機とテープレコーダーで色々と音と写真を撮影していました。家庭用のビデオを手に入れた当時は、毎週日曜日のたびに、撮影に行っていました。まあ、趣味で自己満足で撮影した映像ばかりなのですが、同じ趣味の人たちが見ていただき、喜んでいただきうれしく思っています。
懐かしいですね。当時、北海道へ鉄道旅行へ行くとほぼ必ずお世話になる列車でした。あと過去のコメントで、荷物・郵便列車に客車を繋いだような・・・とありますが、まさにその通りです。この列車の始発は苗穂で、本州へ郵便・荷物車を運ぶ事が目的の荷物列車です。客扱いはおまけだったのです。その為か、最後まで旧型客車が使用され、国鉄の荷物・郵便輸送廃止に伴ない廃止されました。
メッセージありがとうございます。なるほど、そんな列車だったのですね。客扱いはおまけ・・・・荷物、郵便が廃止に伴い、廃止。これでは、利用者もいなくなり、廃止へと運命をたどるばかりですね。
JR化後に「ミッドナイト」が登場。まぁ、今はない。
深夜に北海道訛りの会話が行き交う別世界は本当に情緒溢れる光景。今なら動画で楽しませて頂いていますが、30年前こういった夜行普通列車が多く走っていた頃、時刻表で仮想乗車を楽しんだのを思い出しました。貴重な動画ありがとうございます。
どういたしまして!
また貴重な懐かしい映像を見られて嬉しいです!
メッセージありがとうございます。あの時の、時間を見ていただいたのですね。
一昔前まで当たり前のように客車や電車による夜行普通列車って走ってたのに気がついたら季節列車除いて絶滅してしまいましたね うp主様の動画にも出てきましたが小さな駅に停車したとき深夜にも関わらず駅員さんが直立して列車見送るのを見て心強く感じたのを思い出しました そういうのも過去の風景になってしまいました 10代のころの懐かしい気持ち思い出させていただいてありがとうございました。
メッセージありがとうございます国鉄時代は、赤字でも構わず親方日の丸って言う事で、列車を走らせていたようですが、民間会社に合ったら、赤字では会社がつぶれる。それを防ぐために赤字路線は廃線に、夜行普通列車は乗車が少なかったら廃止に。小さな駅は無人化して、駅員の給料を浮かせそして今に至っているのだと思います。
国鉄時代の鉄道ファン様こんにちは。今はサンライズを除いて全廃した定期夜行列車、貴重な映像ありがとうございました。私も高校生の頃下りの夜行列車に長万部から小沢まで乗った記憶があります。SL撮影で行ったり来たり、宿代を節約する目的も手伝っての乗車でした。車中はほぼ満席で雰囲気に飲まれそうな自分が気に感じたのを覚えております。映像の終わりに機関車の汽笛一声の後テーマ曲に見送られながら走り去る46列車、すてきな演出でした。
メッセージありがとうございます。そうですか、みんな同じような事やっているのですね。宿代を節約して夜行列車に乗るなんて。それに、ホテルや旅館に宿泊していると撮影時間が夜明けから夜中まで、撮影出来ないと言うこともありますよね。
貴重な素晴らしい動画を見せていただき、ありがとうございます!
そういたしまして。
堪らん風情、旧型客車の乗車動画は数々あれど これが一番心に響きました。
ありがとうございます!
これもまた素晴らしい動画です。一度でいいからこういう列車に乗って見たかった!
メッセージありがとうございますこの当時は、こんな列車が走っていたのですよね。今、夜移動するとしたら、夜行バスになるのかな?夜行列車って、サンライズくらいかな。
この動画と同じ頃東京~大垣には165系電車で夜行普通列車がありました。「ムーンライトながら」の前身。列車番号は347Mだったり345Mだったり何回か変更も。増発便は9345Mだったかな。夏期臨で品川~大垣(これは153系だったかも)が増発されていたり、ビンボー学生の帰省の足で人気でした。ゴキブリが大量に湧き出て、走行中の満員列車が深夜に大騒ぎになったこともあったな~。
凄く貴重な映像ですね。各駅停車で夜行列車があったとは知りませんでした。急行の夜行列車には乗った事はありますが、座席も倒せないタイプのものですね。
昔は、このような夜行列車があちこちで走っていました。急行も直角の椅子の列車が多かったですね。でも、それが昔は当たり前で、それが嫌なら、特急や寝台に乗らざるを得なかったのです。
幼い頃は母に連れられて弟も一緒に当たり前のように乗っていた旧型客車列車。懐かしいです‼その後、旧型国電で高校へ通学して卒業と同時に東京へ。115系と103系に乗車するのが毎日の日課のようになっていました。最後に旧型客車に乗ったのは1980年頃。信越線の夜行急行『妙高』でした。(直江津・長野間は普通列車)寝台以外は旧型客車。冬に乗車したので窓からのすきま風が冷たくてなかなか眠れなかった。そんなことも当たり前だった時代。そして何よりも、この音が当時の記憶を思い出させてくれます。貴重なポスト本当にありがとうございました。
メッセージありがとうございます。信越線の旧型客車は、そんなに多く走っていませんでしたね。私は、長野から軽井沢まで1回だけ乗りました。あの辺って旧型国電も走っていましたね。北海道の旧型客車は、2重窓で冬でも車内は暑いです。
客車型鈍行、信越線にありました。旧式電車鈍行も…客車型は停車時間が何故か長く時間がかかりました。臨時列車でこの旧式客車急行が運行されたことがあった。電車急行妙高が追い抜いてしまうんです。同じ急行なのに…。知らないで「先に出るから先に着くだろう」と乗った人を実際に見ました。
最初から最後まで見させていただきました!最後の車掌さんが手を振っているシーンがとても感動しました!すばらしい動画ありがとうございます!
どういたしまして!乗っている間も、車掌さんと良く話をしていました。車掌さんも、この木の車内は、心が温まるって言われてました。
昔、夜行を含め列車に乗ったらこんなおっちゃん・おばちゃん達普通に居ましたね。今のお客は静かになりました。線路の継ぎ目の音がはっきりと聞き取れる車内。今は車両の防音も良いし、ロングレールを使っていて継ぎ目の音が聞こえないですね。車内放送も心なしかズーズー弁っぽいが、今のワンマンバスのアナウンスのような録音音声よりずっといいです。こんな光景が身近に有った頃、それは至極当たり前で、列車に乗ればそれはいつまでもそこに有るものだと思っていました。これらの光景を旅情と言うということが分かったのは、それらを全て失ってからでした。
メッセージありがとうございます。今のお客は静かになりました・・・・・みんな黙ってスマホをしている。電話の通話は、周りの人の迷惑になりますからご遠慮ください・・・・・・それじゃー、隣の人との会話も迷惑になるって事か・・・・・・だから静かになったのかな。それとも、スマホのゲームに夢中なのかな。旅情を楽しめなくなったのと引き換えに、スマホのゲームを楽しんでいるみたいですね。
夜行列車の終着駅などホームには手洗い場があり、そこで歯磨きや洗顔ができるようになっていましたね。
メッセージありがとうございます。そうですね。そういえば、今はあまり気にしていませんでしたが、見なくなりましたね。ホームに手洗い場なんて。
米原駅の在来線ホームにはあった気がします。関ケ原越えの前後の駅ですから給炭・給水で停車するので。ただ20年以上行ってないので今は撤去されたかも。
@@MUTTLEY5417 米原駅のホーム上の洗面所ありましたねぇ。ムーンライトながら以前の大垣夜行345Mを乗り継いで米原に着いたときによく使ってました。もともとは、SL牽引時代の客車列車のお客さんがトンネル通過時にかぶった顔のススを洗い流すのに重宝されていた施設だと聞きました。
私の地元は熊本ですが、八代駅のホームには鏡付きでありました❗今はどうなっているか、分かりませんが(^o^;)
本当クルーズトレインよりのびのびと楽しめる寝台列車ほしい
メッセージありがとうございます。私も同感です。私は、無計画に旅をするのが好きで、次は何処へ行くかは、今決めて旅をする。こんな人、意外と多いのではないかな?いや、少ないかな?指定を取らないとだめだから、計画をしっかり立てて旅をする人が多いのかな。
社会人になって何か辛い事があると、まとまった休みの時に北海道に青春18か、ワイド周遊券で汽車に乗りに行きました。動画の様な夜行鈍行にも何度か乗ったのも、はや30年以上前。身を乗り出してデッキから自然の風にあたったりしながら本当に心が解放されたなぁと、当時の懐かしさを感じてます。確か国鉄時代の鉄道ファン様ですよね。今後とも素晴らしい動画あげ続けて下さいね。
なるほど、まるで演歌の世界ですね。恋に降られて一人旅なんちゃって。まあ、人生色々辛い事、嬉しい事がありますね。
NHKの新日本紀行みたいな映像がなんとも良いですね‼️ なんか列車に寅さんが乗っているような・・・
あは!そうですか!この列車、映画の撮影でもなんでもなく、ごく普通の普通列車でした。
1983年頃ですが13:00に札幌を出発し、山線回りの函館行き鈍行がありました。長万部に40分位停車し、函館着は22:00頃だったように記憶しています。懐かしい映像です。
メッセージありがとうございます。その列車、もしかして、私が函館で到着を撮影した列車かもしれません。この列車の後、北斗がやって来たのです。
@@HobbyVideos 時刻表的にはつじつまが合います‼️
懐かしい動画ありがとうございます。この列車は何回か乗ったことありますが、小樽までは激混みでしたね。まるで、NHKアーカイブを見ているような錯覚を起こす高いクォリティの作品に感動しました。
メッセージありがとうございます。私は、1回しか乗ってないのです。確かに小樽までは激混みでした。もう、遠い昔話になってしまった映像ですね。
チャレンジ20000㎞ポスターが懐かしい!北海道特に函館本線の旧客鈍行列車は旅客用車輌が2~3両と短かったですね。
そうですね。それだけ利用客が居なかったと言う事でしょうね。
いいですねおじいさんたちが宴会やってて、旅情あふれてますね。
いや~~~~~、もう寝る時間なのに、うるさくって(笑)
この一年前に同じ札幌発函館行き夜行乗った事あります。1時間前に来て駅員に乗車口聞いて並んで入線したもののなんと乗車口は貨物車、慌てて隣の客車に乗ったものの、小樽まで大混雑。小樽でやっと座れたが、ボックス席に4人全員函館まで完乗。他のボックスは2人とかで横になっていたのに。函館着いたら疲労で頭がボーッとして、連絡船で青森まで爆睡の思い出を懐かしく思い出しました。あの頃の汽車旅行は旅情満点、疲労満点でしたね。
まあ、小樽までは通勤帰りの満員列車だったようですね。
民営化前は、こういった「鈍行客車列車」が当たり前に走っていました。中でも福知山線は10系、43系、35系が数多く集合する「客車王国」でした。何の予告もなく12系と50系になった時は悲しかったです。
メッセージありがとうございます。まあ、12系や50系になるのに、特にお客に予告なんかする必要はないですよね。福知山線は、撮影したことが無いですが、山陰本線で、福知山線経由の客車列車を撮影しました。
実際には、編成変更(主に8両が5両になったりの短編成化)がなされたので、大阪駅で予告はありました。「冷房付き新型客車への編成変更」とかいう書き方でした。
福知山線の列車で 【福フチ】 の50系が乗り入れてました 【大ミハ】 には50系の配備はなかったので、、、
旧型客車の音がすごく懐かしいですね、私が乗った唯一の旧客列車は天王寺発紀勢本線経由の名古屋行き「はやたま号」ですね。親戚の家に行くために2年前に亡くなった父と5回ぐらい乗りました、そのうち1回だけ寝台車に新宮まで乗せてもらった記憶が蘇り涙が出てきました(その時の寝台券は宝物にしています)。国鉄時代の鉄道ファンさんの動画は、旅情と哀愁が感じられる動画が多いので見ていて胸が熱くなります、素晴らしい動画を見せて頂き有難うございました、チャンネル登録させていただきます。
メッセージありがとうございますそう言えば、紀勢本線も旧型客車が走っていたのですね。私は、山陰本線ばかり撮影していて、紀勢本線はあまり撮影していなかったのです。旧型客車の音も、色々ありまして、台車によってだいぶ違います。私は、スハ43系の音が大好きです。あの車両に乗っていると、すごく癒されます。
少し前に急行はまなすで旅行しました。ほどなく廃止になった聞いて、何とも言えない気持ちになりました。通勤電車と新幹線とリゾート列車。選択と集中のもと失われゆく多様性。大きな寂寥感がありますね…
メッセージありがとうございます。そうですね。はまなすは、残すべきだと思います。これまで、青森を朝一番の新幹線に乗って東京へ行けた人が、函館始発になったからと言っても、朝一番の新幹線に乗るには前日に函館に来てホテルに一泊しないと乗れないのだからね。
私も国鉄時代にいろいろ列車に乗って旅したけど、古い型の客車列車と言ったら(夜行)天王寺~(紀勢本線経由)~名古屋(多気まで乗車)ぐらいですね✨車内の雰囲気は似たような感じでした☺️急行ならこういう車両に何度も乗ってるので、昼行の普通列車も含めて👍️本当に貴重な映像ですね🍀
はい。この時は本当に木の車内の車輛に乗り合わせたのもラッキーでした。後に、山陰本線に、木の車内の客車を撮影に行ったのですが、もう乗ることが出来ませんでした。天王寺から名古屋までも走っていたなんて、昔は奈良に住んでいながら、乗る事がなかったです。
@@HobbyVideosさん私は小学生の頃、津島神社(香川県三豊市にある小島にある神社)の夏季大祭に行った帰り、途中国鉄多度津工機部(現:JR四国多度津工場)に寄った後、多度津から高松迄旧客の普通列車(松山始発で牽引機はDF50)に乗った思い出がありますね。
冬の夜行列車、とても癒されました。
メッセージありがとうございます。昔ののんびりとした時代の列車なので、癒されるのかな。
旧客スハ&スハフで構成された列車……Nゲージで再現できればなぁ~(;´д`)それこそ心が癒されること請け合い(^-^)
あの頃の香りが思い出されます。蒸気、石炭、油、鉄,あるときは日本酒、そして禁煙車など無くタバコの煙まで混じって独特の雰囲気でした。金のない学生時代、札幌から上川まで夜行の大雪で往復、宿代を浮かしたりしました。ありがとうございます。
メッセージありがとうございます香りまで記録できなかったのですが、思い出されて何よりです。
懐かしさを感じます。自分は昭和50年の暮に函館・札幌間の同列車に乗車したことがあります。荷物列車が主体で、車内は閑散としていましたね。列車は確か札幌より先まで行ったんじゃないかなあ。札幌下車でグズグズしてたら通勤のお客さん一斉に乗り込んで来ましたから(笑)。北海道へは70年代後半よく訪ねました。飛行機なんて贅沢で「はつかり」か「みちのく」(これも贅沢な話でしたが)での往復です。札幌から宗谷本線の急行「利尻」に乗り、音威子府で天北線いちばん列車の後部車両(興浜北線直通、北見枝幸行き)に乗り換えて夜明けの流氷を眺める。それが年中行事みたいなものでした。しばらく渡道は仕事のみ(飛行機利用)でしたが、再び「北斗星」の常連となって十数年通い続けたものでした。今も毎年冬に行きますが、冬の千歳空港がすっかり駄目になってしまい、今年の末からは新幹線利用ということになりそうです。
メッセージありがとうございます。毎年行くと言うのは、素晴らしい。私は、行きたくても、お金がない・・・・と言うか、鉄道模型などに使ってしまって北海道行きは、見送っています。こんな列車が有れば、また行く気になるのですが、今の列車は、あまり魅力を感じないので、よほどでない限り北海道へは行けないです。でも、天北線や興浜北線など、乗らないうちに廃止になってしまって、そんな列車に乗ったのは、良い思い出だったのではないかと思います。
lost sinar 急行八甲田や急行十和田で往復だった。
ただただ素晴らしい・・素晴らしいの一言です。車内に漂う酒、ビール、つまみ、弁当、果物、タバコ、そして体臭・・が入り混じったニオイ、オジさんたちの会話・・・なにもかも懐かしいです。西村繁男 氏の絵本で「やこうれっしゃ 」という超名作と並ぶブルートレインではない日常の夜行列車の雰囲気をそのまま切り取った貴重な動画、ありがとうございました。
どういたしまして。私の知人で、こういう古い車輛には、床に油を塗った匂いが好きだと言う人がいます。
一泊で10万も20万もする、金持ちのみ相手にしたバカみたいに高額なクルーズトレインなどいらない。あくまでも移動の手段として使える、こういう「普通の夜行列車」に、もう永遠に乗れない事がさみしいです。
メッセージありがとうございます。「金持ちのみ相手にしたバカみたいに高額なクルーズトレイン」私も同感です。・・・・・まあ、私は貧乏人なので(笑)なぜか、夜行列車ってなくなってしまいましたね。みんな、乗らないからなのでしょうか。まあ、趣味で夜行列車を運行するわけにはいかないでしょうけど、夜行バスが多く走るようになり、そんなバスに乗る人もいると言う事は、夜移動したい人もいるはずなんですよね。
本当にその通りです。クルーズトレインは夜行列車の進化系では決してありません
ですよね!私、トワイライトエクスプレスでも、ちょっと抵抗があったのです。と、言うのは、一番後ろの展望室のきっぷが、なかなか買えないと言う話なのです。発売して1秒で売り切れる とか、国会議員に頼まないと買えない とか、そのくせ、放送局やメディアは、しっかり撮影している。何これ!って感じ。まあ、そんな高価な部屋の切符は買う気もないけれども、展望できる部分って昔の20系のように、みんなが楽しめる列車にならないのかと思います。ですから、トワイライトエクスプレスは、さんざん撮影は、しましたが、全く乗っていません。
国鉄時代の鉄道ファンさん、夜行列車が寝台を含めてすっかり無くなってしまった現代から見ると、あくまでも移動の手段として使えて、庶民の手が届く適度な豪華さと肩肘張らない気軽さを兼ね備えていた、「トワイライト」や「北斗星」も、今思えば「普通の夜行列車」だったのかな・・なんて回想します。しょせんレールの上だけの狭い車内で、一泊20万とか30万とか・・私から見ると、どういう金銭感覚をしてるんだろう・・・なんて思っちゃいます(笑)
あなたの考え、全く賛同できないね! あなたは考え方が狭小過ぎる!!もう少し大局的な観点からコメントできん???
旧型客車木製の車内と蒸気暖房の、外の景色とは違う温かみがありますね☺また、レールが雪に覆われてジョイント音もホッコリ。旅気分にさせてもらえます☺
そうですね。この木製の車内、2輌の内、たまたま乗ったのが、この木の車内だったのです。運が良かったのかもしれません。この後、山陰本線に、木の車内の旧客に乗りに行ったのですが、もう乗ることが出来ませんでした。
雰囲気ですね~、見知らぬ客同士で輪ができるんですよね(^^)
昔はね。今は、マスクして会話はつつしむ時代で・・・・何とかならないのかね、コロナウイルス。
蒸気機関車の撮影の為、冬休みに学割で買った周遊券で北海道へ渡ったのを思い出します。懐かしく涙が出てきました。
なるほど、みな蒸気機関車の撮影で北海道へ行ってたのですね。私は、残念ながら、キハ82の撮影で北海道へ行ったのが初めてでした。蒸気機関車の時代は、このような客車が一杯走っていたのでしょうね。
函館本線46列車。山線沿線で生まれ育った私としては、とっても懐かしい映像です。とうとう乗ることができなかったことが悔やまれます。
メッセージありがとうございます。なかなか、地元の人は乗らないかも知れませんね。
91年生まれの私からしたら、別次元です。この時代を知ってる皆さんが羨ましい、、、
メッセージありがとうございます。そうですね。別次元ですね。そんな、別次元ですが、なんとかバーチャル空間に残すことが出来ました。
私もこの列車、乗りました。ただし札幌行きですが。1986年の夏、初めて北海道へ行ったときでしたね。前の夜は青函連絡船で一夜を明かし、この列車で一夜を明かし、次の日は急行利尻で一夜を明かし・・・。青森まで13時間乗車した特急白鳥もすでになし。30年以上前の思い出でした。懐かしい・・・。
メッセージありがとうございます昔は、私も夜行列車の中で良く一夜を明かしました。青春時代はワイド周遊券なんかで、夜行列車を寝床にして、旅をしたものです。白鳥、日本海、きたぐに、八甲田や津軽、あけぼの等々、30年経つとこんなにも変わるものなんですね。
雪景色の中、黙々と進む北海道の夜行列車、味がありますね。もっとも私自身が乗ったことがあるのは「はまなす」「利尻」「おおぞら(夜行)」「オホーツク(夜行)」で北海道の夜行鈍行は経験がないですが。(全国でも大垣夜行と新宮夜行のみ)たまには走ってほしいものですが、伝説になってしまいました。
すごい!寝台急行ばかり乗っておられるのですね。座席も連結されていますが・・・・私は、駅で発車を撮影したくらいで、北海道の夜行列車は、この普通列車しか乗った事がありません・・・貧乏人なんで(笑)
私がよく利用していたのは1990年代末期で、当時はぐるり北海道きっぷ(東京から往復寝台特急B寝台+道内特急乗り放題)が3万円台で売られており、それで幾度となく行きました。道内は夜行急行の座席車を宿代わりにしていました。そのおかげですね。
1990年代は、もうよく知らない時期でしたね。ぐるり北海道きっぷですか!今だったら何も無いのかな?
国鉄時代は荷物や郵便車を連結した長距離客車鈍行が当たり前に走っていました。郵便車の中は郵便職員が手紙やはがきの仕分けしてまさに「走る郵便局」でしたね。今は黒猫や飛脚、カンガルーの宅急便が活躍し、郵便もトラック輸送が殆どで長距離鈍行が必要となくなりました。
メッセージありがとうございます。やはり、荷物や郵便も車社会になってしまったと言う事ですね。地方に行けば、人の移動も車社会。この先、鉄道の使命は、人の多い都会でしか、発揮できないのかも知れませんね。
懐かしい光景です、小学生の頃岩見沢から函館までの夜行普通列車に乗りました、その頃はSLで引っ張ってました、客車の直角背もたれ・・・辛かったのを覚えています、SLなのでトンネルに入る前に汽笛が鳴ります、窓を閉めるタイミングが悪いと煙が入って周りに大ヒンシュクをかいます、色々思い出しなんか泣きそうになりました・・・
そうですか!SLは、そうですね。煙が入ってくるのか!
こんにちは 昔カニ族と呼ばれた北海道周遊券利用のバッグパックカーは、道内で宿泊費を浮かすため、夜行で移動して、その列車に全部乗らないで途中から上り下りの乗り換えをする強者も多数ありました。しかし、こんなことを続けているとお風呂も入れないし、寝不足で昼間を駅待合室で寝たりするはめになり、こんな移動は2日以上やらないことにしました。函館本線の山線は荷物列車に客扱いの客車をつけて、普通列車であったので鉄道ファンには貴重な列車でした。しかし、長万部でこの時間はカニ飯は買えませんでした。夜行も車内が混んでるときつい旅でした。
私は、学生時代、東北を夏休みを利用してワイド周遊券で夜行列車を宿代わりに乗りまくりました。大阪からの東北ワイド周遊券は、20日の期間で、最初は良かったのですが、途中海でテントを張って寝たり、したのですが、だんだん疲れがたまって来て、駅の待合室でとうとう乗るはずだった夜行に全く目が覚めず、乗り過ごす状況になったこともあります。まあ、今から思えば、懐かしい旅ですね。
YHの素泊まり代たかが1200円程度をケチるのに「まりも 新得返し」とか「利尻 士別返し」なんて技を使って「車中泊」してましたね。今思えば、あの固定ボックスシート4席分使って、体をくの字にして、少年ジャンプ枕にして、よ寝れたもんだと・・・。当時は駅周辺に温泉のあるところは少なかったですし3日くらい風呂入らなくても普通でしたね。
私は北海道は青函連絡船の頃の北海道が好きで、夜行途中折返しはそのうちやらなくなり、片道乗りで行先周辺の線路端で、夜夜行で戻りまたその周辺ということになりましたが、宿屋さんに着くとバタンキューでした。
哀愁のさらば函館本線。
私も時々お世話になりました。函館ー札幌間の長距離鈍行は、小樽・倶知安経由で運行されてました。私の頃は50系51型客車で、とても暖かかったです。人も車両も。
50系で運行されてた時もあったのですね。この当時は、見ての通りの車輛でした。
こういう列車がほぼなくなりましたねー…学生の自分にとってクルーズトレインだとかそんな高価なものには乗れないのでこういうのがほしいんですよね…でもJR西日本がなんか新しい長距離列車を検討しているという情報があったのでそれが安くて学生でも手の届く範囲の夜行列車にぜひしてもらいたいところですね…
メッセージありがとうございます。私もクルーズトレインは、高価で乗れないし、特に乗ろうともしませんね。時代は、新幹線の短い時間で移動すると言う時代になってきているみたいで、このような列車はもうできないでしょうね。夜行列車=寝台・・・・それをもう少しリッチにした個室って言うのが限界かもしれません。
国鉄時代の素敵な動画ありがとうございます。1982年長万部からこの列車に乗って鹿部駅で下車、市街地まで歩きました。駅舎を出るとき心配した駅員の方が声をかけてくれたことを思い出します。鉄道映像遺産として残してもらいたいです。
走行音もありますので。ruclips.net/video/AXuw8s5vYKQ/видео.html
最高の映像をありがとうございます。私は中学生の頃、鉄道が好きで本を読み漁っていた時期がありました。そこで数字だけの列車番号は客車列車だということを知りました。当時は関西に住んでおり、時刻表を眺めていたら偶然福知山線に数字だけの列車番号を見つけて乗りに行ったことがありました。DD51が牽引する列車はまさにこの映像と同じような古い客車でした。開けっ放しのドアからの景色はスリル満点で淀川の鉄橋を渡るときはヒヤヒヤしたのを思い出しました。この映像のラスト、警笛がなった後にピアノ演奏が始まる演出が映画のようで素敵でした。素敵な動画をありがとうございました。しばしのタイムスリップを楽しみました。
こんな列車が大阪駅を発車すると言う事もすごく不思議な感じでしたと思います。まわりは、近代的な電車ばかり、この汽車一体どこへ行くやつや!なんて思う人も居たかもしれませんね。
なんかこの映像を見ていると寅さんが乗ってそう、男はつらいよで寅さんとリリーさんが初めて出会ったのも釧路行きの夜行列車でしたしね。汽車の窓から見える畑の奥の家の灯りに想いを馳せながら汽笛を聴きながら揺られる夜汽車の旅、良いですね。
そうなんですか。私は寅さんの映画はあまり見ないので知りませんでしたが、夜汽車ってそんな場面にも使われてたのですね。
旅するのが楽しかった国鉄時代を思い出させてくれる懐かしい映像を、ありがとうございました。昭和56年12月、八甲田丸から初めて北海道に上陸して乗り継いだのが、この列車と逆方面の函館発札幌行の夜行普通列車でした。荷物専用列車のオマケのように客車は2両だけで、いつの間にか眠ってしまいハッ!として目を覚ますと、もう札幌まであと少しの辺りで、車内が通勤ラッシュで混雑していて驚きました。もう一度だけでいいから、旧型客車の長距離列車で旅がしたいです。
そうそう、この列車、私が札幌から乗った時も小樽までは通勤客で、一杯で、通路も歩けない状態だったのです。通勤列車と夜行列車の2つの顔があるのですね。
1985年7月&1986年3月に乗りました‼️85年には、北海道名物?元祖カーペットカーが連結されていて迷わず乗りました‼️86年は一般座席車でしたが、時節柄「旧客夜行は多分最後」だと心して乗りました‼️そして、JR化までもたずに廃止。
へえ~ カーペットカーってどんなのだろう。青函連絡船のようにごろ寝出来るのかな?
@@HobbyVideos だいたい同じです。しかも、「自由席」というところまで…指定席か乗車整理券にすれば増収になったのに…まぁ、当時の国鉄が宣伝下手で?、適度な乗車率でしたが…
大昔急行ノサップの床が廃油で拭き込んだ木の床にビックリしたのを思い出しました2両のエアコンのない使い古したキハ22? 1983年頃です故郷四国の列車の普通列車も手ひどいボロでしたが笑懐かしい映像ですねHIーC 冷凍ミカン 紐で編んだこれぞ網棚…楽しみに見ています
急行ノサップってキハ22だったのですか?北海道の車輛は、普通列車の車輛でも、デッキが両端にあって、急行列車としても使えそうですね。この当時は、もうこんな列車すぐになくなるであろう・・・・・いや走っていることが不思議と思い、必死で撮影しました。今の網棚は網と違いますもんね。でも、今でも、網棚と言う言葉が残っているし、普通に使っていますね。
かつては422列車で釧路発であった。所要時間は釧路ー函館で20時間52分。
メッセージありがとうございます。それは、知りませんでした。そんな時代が有ったのですね。SLだったのかな?冬、雪が降ったら、ダイヤが乱れなかったのかな?でも、昔は、今みたいに道路が発達していなかったから、大雪の時でも鉄道が唯一の心強い移動手段だったのかもしれませんね。
中学校を卒業し青森県から宮城県の高校へ 帰省は上野発、夜行列車"八甲田" 記憶が蘇ります。
メッセージありがとうございます。八甲田は東北本線経由の青森と上野間の急行ですね。私は、学生時代、東北ワイド周遊券で、東北を旅行中、八甲田には時々乗りました。旧型客車でしたが、内装は金属でした。
色々と有りますけど、やはり冬はこんだけ雪がないとどうも拍子抜けですねぇ。寒い中の撮影、お疲れ様でした。
そうですね。やはり雪も適当に降ってくれないと、北海道の雪祭り関係は盛り上がらないですからね。
最後尾が1号車なのは当然なのですが、荷物車は必ず本州向きに連結されておりましたよね。終着に付くと荷物の積み込みを急ぎ連絡船へと運ばれて行き、本州からの荷物車を再び連結し、道中へと向かっていたのですよね。当時は相当忙しい作業だったと思われますね。
荷物の事は、この当時考える余地もなく必死で寒さに耐えながら撮影してました。考えてみると、そうですね。函館で荷物車だけ、切り離して連絡船に乗せていたのかな?
鈍行懐かしく見ている、昭和34年中学校の修学旅行で函館駅迄行、青函船で青森、十和田湖に行った時行きかえり使用した。
メッセージありがとうございます。修学旅行でこんな列車に乗るなんて、羨ましいですね。私は中学校の頃の修学旅行は、近鉄の8000系、0系新幹線、富士急行のバスでした。
見知らぬ人同士が、向かい合って一夜を共に過ごす。同じ列車に乗っているのが、唯一の共通点。
そうですね。同じ時間を過ごす。
自分は訳ありで札幌から友人5人と長万部までこの列車に乗りました。とても思い出のある列車です。大変貴重な映像をありがとうございました。
どういたしまして!私は、特急おおとりの撮影の帰りに乗ったのです。
この長い時間をもったいないと思うか、この時間こそ求めていた楽しみだと思うか。朝までに届けたい荷物6両と人間2両の8両編成。車両の匂いまで伝わる作品をありがとうございました。本当にうらやましい。
ご視聴ありがとうございます。
そういえばこの頃、札幌~函館間を走る客車列車に(荷)(客)並結の列車が幾筋もありましたね。それも(荷)(客)共に別列車扱い、あくまで"二列車並結"扱いだったと覚えています。時刻表にも別々の欄に掲載されていましたし……何だかんだで、ノンビリした良き時代でしたね。
メッセージありがとうございますそうですね。特急はキハ82が食堂車を連結し、いかにも特別急行って感じで、普通はこんなボロイ客車。旅を楽しむには、良い時代でした。
学生時代 13:55(うろ覚えですが・・・) 普通 函館行き 寮生活をしていた私はよくこの便で札幌から単独で帰省していました。古びた客車に 込み合う乗客 小樽での機関車から気動車への交換 何もかも 今では懐かしいです
メッセージありがとうございます。この列車に思い出がある人が多いですね。私は、これ1回しか乗っていないんですが、それでも、私も、この列車が思い出となりました。
6:56~の手回しのブレーキハンドル(!)磐越西線の旧客で見た覚えがあります。画像でとはいえ、見たのは35年ぶり(笑)
メッセージありがとうございます。やっぱり、知っている人は知っているのですね。
母と2人で長岡へ行く最中、向かいに座ったおじさんの駅弁を私が一緒に食べていたと聞かされました。今では考えられないのでしょうけど、そういった人との繋がりが汽車にはありましたね。
昔の時代ですね。一緒に乗り合わせた人との出会いがあり、また別れが有る。今は、車社会になって、そう言う出会いも無く、鉄道も普通列車での旅をする事はほとんどない状態かもしれませんね。
0:41 時刻表の一番右側に表示されている(荷物列車)の列車番号も46列車である。荷物を扱わない駅は通過マークが表示されているが、小樽駅の時刻は同時刻である。この列車の実態は荷物車が主で、2~3両の旅客車は従という事である。
どうも、そうらしいですね。そんな列車にこの当時一杯乗車していました。特に札幌から小樽までは、通勤客が一杯で通路まで超満員の列車だったのです。
深夜の駅に降りる客、闇に響くタイフォン、カンテラを持つ駅員…旅に出たくなるなぁ🎵
旅に出ましょう!コロナなんか忘れて。
やっぱり客車列車がいいねえ。乗り心地は圧倒的に電車がいいんだけど風情が無い。客車の動き出すときのガックンがまたいい。デッキの扉も手動なので何時でも開けられた。ちあきなおみの歌の歌詞のように動き始めた汽車に飛び乗る事は今はできません。
メッセージありがとうございます連結器の遊びによるショック。乗り心地は今の電車よりも悪いが、それが、また良いんですよね。やっぱ私も年なのかな!動き始めた汽車に飛び乗る事は今はできないけど、ちょっと前までは、車両と車両の間につかまって飛び乗る事が出来たけど、今は、それもできないね。
この列車も、乗った事があります。夜行の鈍行, 急行乗りたおしていたあの頃、乗らないうちに廃止されてしまったのが、九州の鈍行『雲仙』。今でも、心残り...。
思い出の列車ですね。直角の椅子、今の人はこんな列車どう思うのかな。
先月、小樽から長万部まで列車で行こうとしたら、午前中の長万部は不可能なダイヤになっていて、蘭越までが限界でした。この頃は蘭越駅も駅員何人もいるなあ。今は定年直前の老駅員が一人だけの配置です。鈍行で函館まで行ける夜行列車が懐かしい。
メッセージありがとうございます。昔も、小樽と長万部までは、列車本数も少なく不便でしたが、今の時刻表を見たら、もう廃止直前かなって感じがしました。
大体この時間は飲んだサラリーマンや出張帰りのビジネスマンと時々、何の商売だか分からない行商人やカニ族が多かったです。知り合いが寝過ごして小樽で下車が長万部まで行ってしまい、貨物列車の車掌車に便乗させてもらい戻ったなんて今ではあり得ないお話もありました。
メッセージありがとうございます。小樽での過ごして長万部まで起きなかったのですか?と言うより、中途半端なところで起きて、降りてもね。でも、貨物列車の車掌車に乗せてもらうなんて、貴重な経験ですね。今では、あり得ない・・・・・そもそも、車掌車が無い(笑)
今から40数年前高校生の時、札幌から野田生の親戚に行く時に、このテの汽車に乗りました。蒸気機関車ではなくてDD51型機の牽引だったけど、茶色の旧客車が懐かしいです。
40数年前だと、まだまだ茶色の旧型客車が一杯走っていたのではないかと思います。北海道以外にも。
さっき兄貴と電話してたら、この列車の話になった。中学の卒業旅行で、千葉から浜小清水まで流氷を見に行った帰り、札幌から函館まで夜行列車に乗った。てっきり急行かなにかと記憶していたが、兄曰く、それは普通列車だったはずで、貨物列車に客車と連結したやつだと教えられた。まったく記憶に残っておらず、改めて調べてみたら、この動画に行き着いた。そうそうこれこれ、懐かしかった。エンドロールに日付があり、どうも自分が乗った日は、撮影日のひと月後のようだ。貴重な映像に感謝!
そんな、話をしていて、この動画にたどり着くなんて、良く見つけましたね。それも、冬なので、季節は良く似た時期なのですね。夜行なので通過する駅もあったので、急行かと思われたのではないでしょうか?
オニギリと缶ビールを持ち込んで、目をこすりながら、朝までのんびりと過ごしたい列車ですね。
メッセージありがとうございます。いや~、そのうち寝てしまいますよ。私も、もう少しで寝過すところでした。
これは貴重ですね。家庭のリングランプ(蛍光灯)のような照明と、高めの天井。座席も味があります。このような列車に乗って、あてもない旅に出たいと、最近無性に思います。ありがとうございました。
リングランプの蛍光灯ですね。旧型客車と言う昔の客車です。つまり、系を持たないと言う客車ですね。12系とか、24系などの系を持たない。私が、学生時代に、奥羽本線が電化されディーゼル特急つばさが、電車になると言う事で、ワイド周遊券で東北撮り鉄旅行をした事があります。 その時に、このような旧型客車が一杯あったのですが、蛍光灯の形も直管のやつ、リングランプのやつ、2列のやつ、1列のやつ、白熱電球のやつ、色々でした。乗った客車は、それぞれ特徴を書き残してあるのです。いつかは、この当時の思い出をアップしようかと思っているのですが、何しろ学生時代です。スチール写真しかないので、アップしてもみんな見ないだろうなって思ったりしています。
私は、翌年の夏にカーペットカーで乗車しました。懐かしい思い出が蘇ります。デジカメやスマホもなく、のんびり揺られた時代当時は鉄道少年なんて言われたりしていました。貴重な動画を有難うございます。
どういたしまして!私はこんな列車もう乗ることが無いだろうなって思い、撮影してました。
最後、車掌さん、誰に手を上げたんですかね?何か、凄くいいですね!
メッセージありがとうございます。実は、私がビデオを撮影していると、車掌さんとも色々と話が弾み、最後は、撮影している私に手を振ってくれたのです。私も、撮影しながら左手を上げてお別れしました。
私も、高松→高知の旧客で暇な?車掌と会話した事があります。まぁ、今はワンマン多いし…
北海道最後の夜に、同じハコに乗りました、夜汽車連泊のせいで、函館まで爆睡してしまい、写真1枚撮れませんでした、寝ている間に、こんな光景が繰り広げられていたのですねえ
メッセージありがとうございます。乗ったのですか?このハコに!寝ている間に、こんな光景が・・・・冬ですけどね。夏だと、また雰囲気ちがったと思います。乗られたのは、いつの季節かな?
国鉄時代の鉄道ファン同じ年の2月末から3月頭まで、北海道旅行してましたので
わ~お私は、2月末でした。23日に乗ったのかな。その後なのかな?
国鉄時代氏の何日か後です、北海道でニアミスしてるかもしれませんね
ですね。ビデオカメラとポーターブルビデオデッキ持った人、見なかった?
これまた素晴らしい映像ですね。昭和60年の冬との事ですが、同じ年3月に北海道に行った時は全て近代化改造された青色のスハフ44でした。茶色ニス塗りというだけで、すごく味があり、もっと昔に見えますね。
メッセージありがとうございます。その通り。私も、この茶色ニス塗りと言う車内が大好きで、山陰本線に行った時も、この茶色ニス塗りの客車を追いかけていました。
客車に荷物車やワムなどを連結して走っていたんですね今じゃ見られない列車の映像をこうして見れるっていうのはありがたい
ううん、昔は客車列車は良く荷物を連結していました。今は、荷物はトラックや、コンテナ―ですね。
逆です、ワムは有りません
動画を拝見させていただきました。 郵便車や荷物車がメイン?の編成ですね。それでも、旧型客車の室内は、味のある室内ですね。(今のJRの車両にはない、魅力があります。)
メッセージありがとうございます。いや~~~~、これを魅力と言うか、なんというか、昔は、普通の車両だったのが、いまでは、魅力ある車両となってしまったのかもしれません。今では、大井川鉄道に行かないとこのような車両は乗れないし、しかも普通に乗れなくて予約をしないと乗れないのでは、無いでしょうか。
今見て感じられるだけ凄すぎる画像だね
そうですか!当時は何も考えず、凄いなんて考えず、ただ嬉しくて撮影しまくっていたのです。
国鉄時代の汽車なつかしいです、親の田舎が昆布なので夏には良くいきました。急行らいでん で
メッセージありがとうございます。撮影当時としても、都会で暮らしている者にとっては、懐かしかったです。
henntai1962 急行らいでん、最高だった。
動いてる、音がする 、乗客がしゃべってる、車掌が放送してる! 感動です。北海道出身です。幼少時に何度か親とこの手の客車に乗りました。記憶がよみがえりました。
メッセージありがとうございます
やっぱり、動画での記録ってそんなに感動を与える事が出来るのですね。
私は、当時自己満足で撮影していたのですけど。
私も、幼少期、親とこの手の客車に乗ったのを、忘れられなくて、ビデオを買ったら、記録しておきたくって撮影しました。
味がある旧型客車。余計なBGMやわざとらしいナレーションもなく淡々と車内外の景色と会話を録っているのも素晴らしいです。
吹きさらしのデッキでの撮影、寒かったでしょうね。
メッセージありがとうございます
この列車に乗ったのは、最初で最後でした。
外の風景の撮影は、緩急車の窓からの撮影でした。
寒いと言うよりも、手が痛くなってました。
わかります!
ナレーションやBGM、絶対要らないです。
無いお陰で、いろんな雑音が聞こえ、良い臨場感出してます。
ありがとうございます。
まじ神映像。
絶対伸びる
客席に置いてあるハイCアップルとネット入りミカンが懐かしい!
そういえば、ネット入りみかんってもう売っていないのかな?
もはや芸術作品の域…
走行音がまた心地良い。
大井川鉄道で、まだ乗れるのではないかな?
昔は、こんなニス塗りの木の車内の車輛が一杯走っていたのです。
昔の列車や乗客の様子等を見ると、なんだか癒される。貴重な映像だ。
メッセージありがとうございます。
そんなに、せかせかしていなかったのかな?
懐かしい!この年の夏に両方向(函館⇔札幌)で乗車しました。46列車は札幌駅1番線発車でしたね。逆の下り乗車日、函館駅で待っていたら、駅構内は何故か多くの名前を呼び続けている音声が流れている異様な雰囲気。翌朝、札幌駅売店の新聞見出しで日航ジャンボ機墜落のことを知りました。ネットも携帯もない時代でした。
メッセージありがとうございます
この列車が走っていた時、日航ジャンボ機が墜落した時期だったのですね。
123便って、私も昔東京で働いていて、奈良の実家に帰る時に頻繁に利用していました。
123便の次の便の航空券を買って、空席待ちで123便に乗ったこともあります。
8月16日だったかな?
夏の夜行列車って夜風がとっても気持ちよい・・・・北海道は、寒いのかな?
ほんと、ネットも携帯も無い時代でしたね。
情報と言えばテレビとラジオくらいですね。
昔は、若者が周遊券で夜行列車の旅をして、人との出会いと別れを身に付けていったものです。私の友人で旅先で出会った人と家庭を持った人もいます。今は合理化を追求し、格安のバスか高い新幹線の二者択一しかありません。一部の金持ちしか旅ができなくなり、若者は旅をしなくなりました。そのために人間関係も希薄になりましたね。
メッセージありがとうございます
なるほどね。
今の若者は旅をしなくなった・・・・
スマホなどの普及も関係しているのかな?
旅先で出会った人と家庭を持ったって言うのもすごいですね。
特に一人旅なんかすると、誰とも話すことが無いので、こんな列車に乗ったら、隣り合わせの人と話に花が咲いたりしますね。
私も、色々と思い出があります。
網棚にフタが回る灰皿、テーブルにテーブルの裏の栓抜き、グルグル回る扇風機、昭和時代の記憶が蘇ってきました
メッセージありがとうございます。
昭和時代・・・・・
ニス塗りの内装、開けっ放しの乗降ドアー・・・・
もう、昔話の時代なんですね。
素晴らしい作品です。映像も音声も。地元の人同士(?)の会話のシーンが圧巻です。
そして何より、ナレーションや説明が適度な量で、生の映像に多くを語らせているあたりが、昔のNHK特集のような真面目さ、堅実さを思わせます。編集の妙でしょうか。
そんなに気に入っていただいてありがとうございます。
昔の戻らない時間を記録した映像。当時は、自己満足の世界で録画した映像なのです。それを、インターネットのおかげで、皆さんに見ていただくことが出来、また、感激していただくことができるのも、今のITのおかげですね。
私は、プロではないので、編集もナレーションも、自己流でやっています。
まあ、NHK特集なんかは、少し真似をしているかも(笑)
貴重な旧型客車からの画像。30年前にタイムマシンで出掛けてバーチャル旅行を楽しませていただきました。乗客のおじさんの北海道弁の演説(?)がいい味を出していますね(笑)
メッセージありがとうございます。
乗客のおじさん、この時代、大体こんな夜行列車に乗ったら、あんな雰囲気でしゃべりまくっている人が必ずいるのですよね。
私映画で「家族」って言う映画を見たのですが、あの映画でも、家族が東京から青森へ行く時に、夜行の普通列車に乗っている場面があるのですが、あのようなお客さんが喋っているカットがありました。当然、映画なのでやらせなんですが、「家族」と言う映画を作った映画監督も、夜行列車の車内は、こんな客が必ずいるもんだと言う思いがあったのだと思います。
実際、この映像は、やらせではないですが、ちゃんと居ましたから(笑)
スマホがある今の世の中は好きだが、鉄道だと昔の方が好き。新幹線は正直速くてかっこいいと思う程度。鈍行の方が好きだな。好みとして。
メッセージありがとうございます。
新幹線は、目的地に早く行く人が利用する列車で、旅を楽しむのなら、鈍行が良いですよね。
懐かしい、素晴らしい!1980年前後、故あって、何年か毎年冬に東京から道東道北に鉄道で往復しました。最初は、本州から入ると、デッキ、座席、トイレ、驚愕モノでした。今ではいい思い出です。アップされた動画で、なぜ最後尾から撮れるのか、当時は当たり前の解放デッキ。道東など、まだ、混合列車がずいぶんあった、そんな事も思い出しました。ありがとうございました!
メッセージありがとうございます。
当時は当たり前の解放デッキ・・・・そうなんです。
今、当たり前でも、30年後は、それが、当たり前でなくなっているかも知れないのです。
終点まで乗ると機械の体が貰えそうな車両だな。
メッセージありがとうございます。
そうそう、車内はニス塗り。古いタイプの列車じゃないとだめなの・・・・なんてセリフあったっけ。
2:38
今見れば
最後尾客車の通路
鎖二本って…
危ないし
雪の問題あるし
大問題になるね
終点まで乗り通す頃には機械の体になっていそうなシートですね。
ネジにされるなんて嫌だー(涙)
ド〇〇もんじゃないんですから………。
まあ、もう30年以上も前の話ですしね。
とても懐かしい列車ですね。自分も夜行列車では良く利用してました。日中は函館本線山線経由の急行ニセコを利用してました。やっぱり山線経由の列車は個人的には好きでした。今ではすっかりローカル線になってしまったけどね。
そうですね。山線は北海道の自然の中を走る線。室蘭本線は、都会を走る線と言う感じかな。
なんと…心温まる客車なんだ…一度乗ってみたかった
メッセージありがとうございます
今では、大井川鉄道に、こんな旧型客車が走っていて乗れるのではないかと思います。
幼い時に鉄道というものが好きになって、大人になっても自分の仕事にしてしまうほど鉄道が好きです。自分で稼いだお金で電車に乗れて旅行もある程度自由に行けるようになった今ではもう夜行列車というものは無くなっていました。一度は乗ってみたかったなぁとは思いつつ、”国鉄時代の鉄道ファン”様の動画で充分に雰囲気を味わい楽しませていただいております。
やっぱ鉄道って最高ですね!
メッセージありがとうございます
その鉄道なんですが、今はJRになって、高速道路が発達し、鉄道を利用する人が減り、赤字路線はどんどん廃止になって、鉄道で旅を楽しむと言うよりも、ただの移動手段になってしまうようでなんか、複雑な気分ですね。
また、北陸新幹線開業と、同時に廃止になったトワイライトエクスプレスなんかは、旅を楽しませてもらえそうな列車だったけど、大阪より最後部の個室寝台なんかは、切符がなかなか買えないとか、聞いた話によると国会議員に頼まないと買えないとか、そのくせ、テレビやメディアの取材でさんざん撮影してたり、せっかく旅を楽しめる列車があっても、乗れなキャー同じですね。
そんな旅もいいけど、こんな夜行列車の旅の方が私は好きです。
すごいです!貴重なビデオを見せて頂いてありがとうございます。時空旅行をした気分になれました!
この動画でバーチャル旅行気分を味わってもらえたらうれしいです。
子供だった頃は当たり前に走っていた旧型客車が凄く懐かしいです。貴長な映像をありがとうございます。昔は良かったですね。ノスタルジックに浸り見入ってます。
メッセージありがとうございます。
そう、いつも今は当たり前。でも30年後には、当たり前でなくなっているかも。
でも、30年前、既に本州では新幹線が走っている時代、こんな旧型客車が走っていた事じたい、当たり前ではなかったのかもしれません。
1983年9月に函館から札幌まで41列車に乗った時の記憶が蘇って来ました。夜汽車、旅情という言葉が似合うよき時代でした。貧乏学生でしたので写真などの記録が残せなかったのが残念です。素敵な映像をありがとうございました。
メッセージありがとうございます
「夜汽車」良い響きですね。
今は、特急の寝台列車も、「サンライズ出雲」くらいになってしまったのですね。
あれって、「夜電車」?
ホント、昭和の素晴らしい映像です。
ボックスシートに座る人々の人間臭さと夜汽車の雰囲気が何とも哀愁漂う感じです。今の近代的な車輛とは違う趣がたまりませんね!見知らぬ人とボックスシートに座るって、ある意味、息苦しく感じますが、人々の繋がりって、こうやって出来ていくものなのですね!
そうですね。特に最果ての北海道だから、そして凍てつく冬だから余計そう感じるのかも知れませんね。
国鉄時代の鉄道ファンさんの優しげな語り口調が大好きでよく見させてもらっています
私は小学生なりたての、ちょうどJR発足の頃から鉄道ファンですが
もう10年、いや5年早く生まれていれば、こうした国鉄末期の雰囲気をもっと味わえたのにと思うと
少し親を恨んでしまいます(笑)
80年代前半~中盤に個人でこれだけ多くの動画を撮影するのは結構大変だったことと思います
これからもありがたく見させていただきます。
メッセージありがとうございます。
動画撮影までは、写真機とテープレコーダーで色々と音と写真を撮影していました。
家庭用のビデオを手に入れた当時は、毎週日曜日のたびに、撮影に行っていました。
まあ、趣味で自己満足で撮影した映像ばかりなのですが、同じ趣味の人たちが見ていただき、喜んでいただきうれしく思っています。
懐かしいですね。当時、北海道へ鉄道旅行へ行くとほぼ必ずお世話になる列車でした。あと過去のコメントで、荷物・郵便列車に客車を繋いだような・・・とありますが、まさにその通りです。この列車の始発は苗穂で、本州へ郵便・荷物車を運ぶ事が目的の荷物列車です。客扱いはおまけだったのです。その為か、最後まで旧型客車が使用され、国鉄の荷物・郵便輸送廃止に伴ない廃止されました。
メッセージありがとうございます。
なるほど、そんな列車だったのですね。
客扱いはおまけ・・・・荷物、郵便が廃止に伴い、廃止。
これでは、利用者もいなくなり、廃止へと運命をたどるばかりですね。
JR化後に「ミッドナイト」が登場。まぁ、今はない。
深夜に北海道訛りの会話が行き交う別世界は本当に情緒溢れる光景。今なら動画で楽しませて頂いていますが、30年前こういった夜行普通列車が多く走っていた頃、時刻表で仮想乗車を楽しんだのを思い出しました。貴重な動画ありがとうございます。
どういたしまして!
また貴重な懐かしい映像を見られて嬉しいです!
メッセージありがとうございます。
あの時の、時間を見ていただいたのですね。
一昔前まで当たり前のように客車や電車による夜行普通列車って走ってたのに気がついたら季節列車除いて絶滅してしまいましたね うp主様の動画にも出てきましたが小さな駅に停車したとき深夜にも関わらず駅員さんが直立して列車見送るのを見て心強く感じたのを思い出しました そういうのも過去の風景になってしまいました 10代のころの懐かしい気持ち思い出させていただいてありがとうございました。
メッセージありがとうございます
国鉄時代は、赤字でも構わず親方日の丸って言う事で、列車を走らせていたようですが、民間会社に合ったら、赤字では会社がつぶれる。
それを防ぐために赤字路線は廃線に、夜行普通列車は乗車が少なかったら廃止に。小さな駅は無人化して、駅員の給料を浮かせそして今に至っているのだと思います。
国鉄時代の鉄道ファン様こんにちは。今はサンライズを除いて全廃した定期夜行列車、貴重な映像ありがとうございました。私も高校生の頃下りの夜行列車に長万部から小沢まで乗った記憶があります。SL撮影で行ったり来たり、宿代を節約する目的も手伝っての乗車でした。車中はほぼ満席で雰囲気に飲まれそうな自分が気に感じたのを覚えております。映像の終わりに機関車の汽笛一声の後テーマ曲に見送られながら走り去る46列車、すてきな演出でした。
メッセージありがとうございます。
そうですか、みんな同じような事やっているのですね。宿代を節約して夜行列車に乗るなんて。それに、ホテルや旅館に宿泊していると撮影時間が夜明けから夜中まで、撮影出来ないと言うこともありますよね。
貴重な素晴らしい動画を見せていただき、ありがとうございます!
そういたしまして。
堪らん風情、旧型客車の乗車動画は数々あれど これが一番心に響きました。
ありがとうございます!
これもまた素晴らしい動画です。
一度でいいからこういう列車に乗って見たかった!
メッセージありがとうございます
この当時は、こんな列車が走っていたのですよね。
今、夜移動するとしたら、夜行バスになるのかな?
夜行列車って、サンライズくらいかな。
この動画と同じ頃東京~大垣には165系電車で夜行普通列車がありました。「ムーンライトながら」の前身。
列車番号は347Mだったり345Mだったり何回か変更も。増発便は9345Mだったかな。
夏期臨で品川~大垣(これは153系だったかも)が増発されていたり、ビンボー学生の帰省の足で人気でした。
ゴキブリが大量に湧き出て、走行中の満員列車が深夜に大騒ぎになったこともあったな~。
凄く貴重な映像ですね。各駅停車で夜行列車があったとは知りませんでした。急行の夜行列車には乗った事はありますが、座席も倒せないタイプのものですね。
昔は、このような夜行列車があちこちで走っていました。急行も直角の椅子の列車が多かったですね。
でも、それが昔は当たり前で、それが嫌なら、特急や寝台に乗らざるを得なかったのです。
幼い頃は母に連れられて弟も一緒に当たり前のように乗っていた旧型客車列車。懐かしいです‼
その後、旧型国電で高校へ通学して卒業と同時に東京へ。115系と103系に乗車するのが毎日の日課のようになっていました。
最後に旧型客車に乗ったのは1980年頃。信越線の夜行急行『妙高』でした。(直江津・長野間は普通列車)寝台以外は旧型客車。冬に乗車したので窓からのすきま風が冷たくてなかなか眠れなかった。そんなことも当たり前だった時代。
そして何よりも、この音が当時の記憶を思い出させてくれます。
貴重なポスト本当にありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
信越線の旧型客車は、そんなに多く走っていませんでしたね。
私は、長野から軽井沢まで1回だけ乗りました。
あの辺って旧型国電も走っていましたね。
北海道の旧型客車は、2重窓で冬でも車内は暑いです。
客車型鈍行、信越線にありました。旧式電車鈍行も…客車型は停車時間が
何故か長く時間がかかりました。臨時列車でこの旧式客車急行が運行された
ことがあった。電車急行妙高が追い抜いてしまうんです。同じ急行なのに…。
知らないで「先に出るから先に着くだろう」と乗った人を実際に見ました。
最初から最後まで見させていただきました!最後の車掌さんが手を振っているシーンがとても感動しました!すばらしい動画ありがとうございます!
どういたしまして!
乗っている間も、車掌さんと良く話をしていました。
車掌さんも、この木の車内は、心が温まるって言われてました。
昔、夜行を含め列車に乗ったらこんなおっちゃん・おばちゃん達普通に居ましたね。今のお客は静かになりました。線路の継ぎ目の音がはっきりと聞き取れる車内。今は車両の防音も良いし、ロングレールを使っていて継ぎ目の音が聞こえないですね。車内放送も心なしかズーズー弁っぽいが、今のワンマンバスのアナウンスのような録音音声よりずっといいです。こんな光景が身近に有った頃、それは至極当たり前で、列車に乗ればそれはいつまでもそこに有るものだと思っていました。これらの光景を旅情と言うということが分かったのは、それらを全て失ってからでした。
メッセージありがとうございます。
今のお客は静かになりました・・・・・みんな黙ってスマホをしている。
電話の通話は、周りの人の迷惑になりますからご遠慮ください・・・・・・
それじゃー、隣の人との会話も迷惑になるって事か・・・・・・
だから静かになったのかな。それとも、スマホのゲームに夢中なのかな。
旅情を楽しめなくなったのと引き換えに、スマホのゲームを楽しんでいるみたいですね。
夜行列車の終着駅などホームには手洗い場があり、そこで歯磨きや洗顔ができるようになっていましたね。
メッセージありがとうございます。
そうですね。そういえば、今はあまり気にしていませんでしたが、見なくなりましたね。ホームに手洗い場なんて。
米原駅の在来線ホームにはあった気がします。関ケ原越えの前後の駅ですから給炭・給水で停車するので。
ただ20年以上行ってないので今は撤去されたかも。
@@MUTTLEY5417 米原駅のホーム上の洗面所ありましたねぇ。ムーンライトながら以前の大垣夜行345Mを乗り継いで米原に着いたときによく使ってました。もともとは、SL牽引時代の客車列車のお客さんがトンネル通過時にかぶった顔のススを洗い流すのに重宝されていた施設だと聞きました。
私の地元は熊本ですが、八代駅のホームには鏡付きでありました❗今はどうなっているか、分かりませんが(^o^;)
本当クルーズトレインよりのびのびと楽しめる寝台列車ほしい
メッセージありがとうございます。
私も同感です。
私は、無計画に旅をするのが好きで、次は何処へ行くかは、今決めて旅をする。こんな人、意外と多いのではないかな?
いや、少ないかな?
指定を取らないとだめだから、計画をしっかり立てて旅をする人が多いのかな。
社会人になって何か辛い事があると、まとまった休みの時に北海道に青春18か、ワイド周遊券で汽車に乗りに行きました。動画の様な夜行鈍行にも何度か乗ったのも、はや30年以上前。
身を乗り出してデッキから自然の風にあたったりしながら本当に心が解放されたなぁと、当時の懐かしさを感じてます。確か国鉄時代の鉄道ファン様ですよね。今後とも素晴らしい動画あげ続けて下さいね。
なるほど、まるで演歌の世界ですね。恋に降られて一人旅なんちゃって。まあ、人生色々辛い事、嬉しい事がありますね。
NHKの新日本紀行みたいな映像が
なんとも良いですね‼️ なんか列車に寅さんが乗っているような・・・
あは!そうですか!この列車、映画の撮影でもなんでもなく、ごく普通の普通列車でした。
1983年頃ですが13:00に札幌を出発し、山線回りの函館行き鈍行がありました。長万部に40分位停車し、函館着は22:00頃だったように記憶しています。懐かしい映像です。
メッセージありがとうございます。
その列車、もしかして、私が函館で到着を撮影した列車かもしれません。
この列車の後、北斗がやって来たのです。
@@HobbyVideos 時刻表的にはつじつまが合います‼️
懐かしい動画ありがとうございます。
この列車は何回か乗ったことありますが、小樽までは激混みでしたね。
まるで、NHKアーカイブを見ているような錯覚を起こす高いクォリティの作品に感動しました。
メッセージありがとうございます。
私は、1回しか乗ってないのです。
確かに小樽までは激混みでした。
もう、遠い昔話になってしまった映像ですね。
チャレンジ20000㎞ポスターが懐かしい!北海道特に函館本線の旧客鈍行列車は旅客用車輌が2~3両と短かったですね。
そうですね。それだけ利用客が居なかったと言う事でしょうね。
いいですねおじいさんたちが宴会やってて、旅情あふれてますね。
いや~~~~~、もう寝る時間なのに、うるさくって(笑)
この一年前に同じ札幌発函館行き夜行乗った事あります。1時間前に来て駅員に乗車口聞いて並んで入線したもののなんと乗車口は貨物車、慌てて隣の客車に乗ったものの、小樽まで大混雑。小樽でやっと座れたが、ボックス席に4人全員函館まで完乗。他のボックスは2人とかで横になっていたのに。函館着いたら疲労で頭がボーッとして、連絡船で青森まで爆睡の思い出を懐かしく思い出しました。あの頃の汽車旅行は旅情満点、疲労満点でしたね。
まあ、小樽までは通勤帰りの満員列車だったようですね。
民営化前は、こういった「鈍行客車列車」が当たり前に走っていました。中でも福知山線は10系、43系、35系が数多く集合する「客車王国」でした。何の予告もなく12系と50系になった時は悲しかったです。
メッセージありがとうございます。
まあ、12系や50系になるのに、特にお客に予告なんかする必要はないですよね。
福知山線は、撮影したことが無いですが、山陰本線で、福知山線経由の客車列車を撮影しました。
実際には、編成変更(主に8両が5両になったりの短編成化)がなされたので、大阪駅で予告はありました。「冷房付き新型客車への編成変更」とかいう書き方でした。
福知山線の列車で 【福フチ】 の50系が乗り入れてました 【大ミハ】 には50系の配備はなかったので、、、
旧型客車の音がすごく懐かしいですね、私が乗った唯一の旧客列車は天王寺発紀勢本線経由の名古屋行き「はやたま号」ですね。親戚の家に行くために2年前に亡くなった父と5回ぐらい乗りました、そのうち1回だけ寝台車に新宮まで乗せてもらった記憶が蘇り涙が出てきました(その時の寝台券は宝物にしています)。
国鉄時代の鉄道ファンさんの動画は、旅情と哀愁が感じられる動画が多いので見ていて胸が熱くなります、素晴らしい動画を見せて頂き有難うございました、チャンネル登録させていただきます。
メッセージありがとうございます
そう言えば、紀勢本線も旧型客車が走っていたのですね。
私は、山陰本線ばかり撮影していて、紀勢本線はあまり撮影していなかったのです。
旧型客車の音も、色々ありまして、台車によってだいぶ違います。
私は、スハ43系の音が大好きです。
あの車両に乗っていると、すごく癒されます。
少し前に急行はまなすで旅行しました。
ほどなく廃止になった聞いて、何とも言えない気持ちになりました。
通勤電車と新幹線とリゾート列車。
選択と集中のもと失われゆく多様性。
大きな寂寥感がありますね…
メッセージありがとうございます。
そうですね。
はまなすは、残すべきだと思います。
これまで、青森を朝一番の新幹線に乗って東京へ行けた人が、函館始発になったからと言っても、朝一番の新幹線に乗るには前日に函館に来てホテルに一泊しないと乗れないのだからね。
私も国鉄時代にいろいろ列車に乗って旅したけど、古い型の客車列車と言ったら(夜行)天王寺~(紀勢本線経由)~名古屋(多気まで乗車)ぐらいですね✨
車内の雰囲気は似たような感じでした☺️
急行ならこういう車両に何度も乗ってるので、昼行の普通列車も含めて👍️
本当に貴重な映像ですね🍀
はい。この時は本当に木の車内の車輛に乗り合わせたのもラッキーでした。
後に、山陰本線に、木の車内の客車を撮影に行ったのですが、もう乗ることが出来ませんでした。
天王寺から名古屋までも走っていたなんて、昔は奈良に住んでいながら、乗る事がなかったです。
@@HobbyVideosさん
私は小学生の頃、津島神社(香川県三豊市にある小島にある神社)の夏季大祭に行った帰り、途中国鉄多度津工機部(現:JR四国多度津工場)に寄った後、多度津から高松迄旧客の普通列車(松山始発で牽引機はDF50)に乗った思い出がありますね。
冬の夜行列車、とても癒されました。
メッセージありがとうございます。
昔ののんびりとした時代の列車なので、癒されるのかな。
旧客スハ&スハフで構成された列車……
Nゲージで再現できればなぁ~(;´д`)
それこそ心が癒されること請け合い(^-^)
あの頃の香りが思い出されます。蒸気、石炭、油、鉄,あるときは日本酒、そして禁煙車など無くタバコの煙まで混じって独特の雰囲気でした。金のない学生時代、札幌から上川まで夜行の大雪で往復、宿代を浮かしたりしました。ありがとうございます。
メッセージありがとうございます
香りまで記録できなかったのですが、思い出されて何よりです。
懐かしさを感じます。自分は昭和50年の暮に函館・札幌間の同列車に乗車したことがあります。荷物列車が主体で、車内は閑散としていましたね。列車は確か札幌より先まで行ったんじゃないかなあ。札幌下車でグズグズしてたら通勤のお客さん一斉に乗り込んで来ましたから(笑)。北海道へは70年代後半よく訪ねました。飛行機なんて贅沢で「はつかり」か「みちのく」(これも贅沢な話でしたが)での往復です。札幌から宗谷本線の急行「利尻」に乗り、音威子府で天北線いちばん列車の後部車両(興浜北線直通、北見枝幸行き)に乗り換えて夜明けの流氷を眺める。それが年中行事みたいなものでした。しばらく渡道は仕事のみ(飛行機利用)でしたが、再び「北斗星」の常連となって十数年通い続けたものでした。今も毎年冬に行きますが、冬の千歳空港がすっかり駄目になってしまい、今年の末からは新幹線利用ということになりそうです。
メッセージありがとうございます。
毎年行くと言うのは、素晴らしい。私は、行きたくても、お金がない・・・・と言うか、鉄道模型などに使ってしまって北海道行きは、見送っています。
こんな列車が有れば、また行く気になるのですが、今の列車は、あまり魅力を感じないので、よほどでない限り北海道へは行けないです。
でも、天北線や興浜北線など、乗らないうちに廃止になってしまって、そんな列車に乗ったのは、良い思い出だったのではないかと思います。
lost sinar
急行八甲田や急行十和田で往復だった。
ただただ素晴らしい・・素晴らしいの一言です。
車内に漂う酒、ビール、つまみ、弁当、果物、タバコ、そして体臭・・が入り混じったニオイ、オジさんたちの会話・・・なにもかも懐かしいです。
西村繁男 氏の絵本で「やこうれっしゃ 」という超名作と並ぶブルートレインではない日常の夜行列車の雰囲気をそのまま切り取った貴重な動画、ありがとうございました。
どういたしまして。
私の知人で、こういう古い車輛には、床に油を塗った匂いが好きだと言う人がいます。
一泊で10万も20万もする、金持ちのみ相手にしたバカみたいに高額なクルーズトレインなどいらない。
あくまでも移動の手段として使える、こういう「普通の夜行列車」に、もう永遠に乗れない事がさみしいです。
メッセージありがとうございます。
「金持ちのみ相手にしたバカみたいに高額なクルーズトレイン」
私も同感です。
・・・・・まあ、私は貧乏人なので(笑)
なぜか、夜行列車ってなくなってしまいましたね。
みんな、乗らないからなのでしょうか。
まあ、趣味で夜行列車を運行するわけにはいかないでしょうけど、夜行バスが多く走るようになり、そんなバスに乗る人もいると言う事は、夜移動したい人もいるはずなんですよね。
本当にその通りです。クルーズトレインは夜行列車の進化系では決してありません
ですよね!
私、トワイライトエクスプレスでも、ちょっと抵抗があったのです。
と、言うのは、一番後ろの展望室のきっぷが、なかなか買えないと言う話なのです。
発売して1秒で売り切れる とか、
国会議員に頼まないと買えない とか、
そのくせ、放送局やメディアは、しっかり撮影している。
何これ!って感じ。
まあ、そんな高価な部屋の切符は買う気もないけれども、展望できる部分って昔の20系のように、みんなが楽しめる列車にならないのかと思います。
ですから、トワイライトエクスプレスは、さんざん撮影は、しましたが、全く乗っていません。
国鉄時代の鉄道ファンさん、
夜行列車が寝台を含めてすっかり無くなってしまった現代から見ると、
あくまでも移動の手段として使えて、庶民の手が届く適度な豪華さと肩肘張らない気軽さを兼ね備えていた、
「トワイライト」や「北斗星」も、今思えば「普通の夜行列車」だったのかな・・なんて回想します。
しょせんレールの上だけの狭い車内で、一泊20万とか30万とか・・
私から見ると、どういう金銭感覚をしてるんだろう・・・なんて思っちゃいます(笑)
あなたの考え、全く賛同できないね! あなたは考え方が狭小過ぎる!!
もう少し大局的な観点からコメントできん???
旧型客車木製の車内と蒸気暖房の、外の景色とは違う温かみがありますね☺また、レールが雪に覆われてジョイント音もホッコリ。旅気分にさせてもらえます☺
そうですね。この木製の車内、2輌の内、たまたま乗ったのが、この木の車内だったのです。
運が良かったのかもしれません。
この後、山陰本線に、木の車内の旧客に乗りに行ったのですが、もう乗ることが出来ませんでした。
雰囲気ですね~、見知らぬ客同士で輪ができるんですよね(^^)
昔はね。
今は、マスクして会話はつつしむ時代で・・・・何とかならないのかね、コロナウイルス。
蒸気機関車の撮影の為、冬休みに学割で買った周遊券で北海道へ渡ったのを思い出します。懐かしく涙が出てきました。
なるほど、みな蒸気機関車の撮影で北海道へ行ってたのですね。
私は、残念ながら、キハ82の撮影で北海道へ行ったのが初めてでした。
蒸気機関車の時代は、このような客車が一杯走っていたのでしょうね。
函館本線46列車。山線沿線で生まれ育った私としては、とっても懐かしい映像です。とうとう乗ることができなかったことが悔やまれます。
メッセージありがとうございます。
なかなか、地元の人は乗らないかも知れませんね。
91年生まれの私からしたら、別次元です。この時代を知ってる皆さんが羨ましい、、、
メッセージありがとうございます。
そうですね。別次元ですね。
そんな、別次元ですが、なんとかバーチャル空間に残すことが出来ました。
私もこの列車、乗りました。ただし札幌行きですが。1986年の夏、初めて北海道へ行ったときでしたね。前の夜は青函連絡船で一夜を明かし、この列車で一夜を明かし、次の日は急行利尻で一夜を明かし・・・。青森まで13時間乗車した特急白鳥もすでになし。30年以上前の思い出でした。懐かしい・・・。
メッセージありがとうございます
昔は、私も夜行列車の中で良く一夜を明かしました。
青春時代はワイド周遊券なんかで、夜行列車を寝床にして、旅をしたものです。
白鳥、日本海、きたぐに、八甲田や津軽、あけぼの等々、30年経つとこんなにも変わるものなんですね。
雪景色の中、黙々と進む北海道の夜行列車、味がありますね。もっとも私自身が乗ったことがあるのは「はまなす」「利尻」「おおぞら(夜行)」「オホーツク(夜行)」で北海道の夜行鈍行は経験がないですが。(全国でも大垣夜行と新宮夜行のみ)たまには走ってほしいものですが、伝説になってしまいました。
すごい!寝台急行ばかり乗っておられるのですね。座席も連結されていますが・・・・
私は、駅で発車を撮影したくらいで、北海道の夜行列車は、この普通列車しか乗った事がありません・・・貧乏人なんで(笑)
私がよく利用していたのは1990年代末期で、当時はぐるり北海道きっぷ(東京から往復寝台特急B寝台+道内特急乗り放題)が3万円台で売られており、それで幾度となく行きました。道内は夜行急行の座席車を宿代わりにしていました。そのおかげですね。
1990年代は、もうよく知らない時期でしたね。ぐるり北海道きっぷですか!
今だったら何も無いのかな?
国鉄時代は荷物や郵便車を連結した長距離客車鈍行が当たり前に走っていました。郵便車の中は郵便職員が手紙やはがきの仕分けしてまさに「走る郵便局」でしたね。今は黒猫や飛脚、カンガルーの宅急便が活躍し、郵便もトラック輸送が殆どで長距離鈍行が必要となくなりました。
メッセージありがとうございます。
やはり、荷物や郵便も車社会になってしまったと言う事ですね。
地方に行けば、人の移動も車社会。
この先、鉄道の使命は、人の多い都会でしか、発揮できないのかも知れませんね。
懐かしい光景です、小学生の頃岩見沢から函館までの夜行普通列車に乗りました、その頃はSLで引っ張ってました、客車の直角背もたれ・・・辛かったのを覚えています、SLなのでトンネルに入る前に汽笛が鳴ります、窓を閉めるタイミングが悪いと煙が入って周りに大ヒンシュクをかいます、色々思い出しなんか泣きそうになりました・・・
そうですか!SLは、そうですね。煙が入ってくるのか!
こんにちは 昔カニ族と呼ばれた北海道周遊券利用のバッグパックカーは、道内で宿泊費を浮かすため、夜行で移動して、その列車に全部乗らないで途中から上り下りの乗り換えをする強者も多数ありました。しかし、こんなことを続けているとお風呂も入れないし、寝不足で昼間を駅待合室で寝たりするはめになり、こんな移動は2日以上やらないことにしました。
函館本線の山線は荷物列車に客扱いの客車をつけて、普通列車であったので鉄道ファンには貴重な列車でした。
しかし、長万部でこの時間はカニ飯は買えませんでした。
夜行も車内が混んでるときつい旅でした。
私は、学生時代、東北を夏休みを利用してワイド周遊券で夜行列車を宿代わりに乗りまくりました。
大阪からの東北ワイド周遊券は、20日の期間で、最初は良かったのですが、途中海でテントを張って寝たり、したのですが、だんだん疲れがたまって来て、駅の待合室でとうとう乗るはずだった夜行に全く目が覚めず、乗り過ごす状況になったこともあります。
まあ、今から思えば、懐かしい旅ですね。
YHの素泊まり代たかが1200円程度をケチるのに「まりも 新得返し」とか「利尻 士別返し」なんて技を使って「車中泊」してましたね。今思えば、あの固定ボックスシート4席分使って、体をくの字にして、少年ジャンプ枕にして、よ寝れたもんだと・・・。当時は駅周辺に温泉のあるところは少なかったですし3日くらい風呂入らなくても普通でしたね。
私は北海道は青函連絡船の頃の北海道が好きで、夜行途中折返しはそのうちやらなくなり、片道乗りで行先周辺の線路端で、夜夜行で戻りまたその周辺ということになりましたが、宿屋さんに着くとバタンキューでした。
哀愁のさらば函館本線。
私も時々お世話になりました。函館ー札幌間の長距離鈍行は、小樽・倶知安経由で運行されてました。私の頃は50系51型客車で、とても暖かかったです。人も車両も。
50系で運行されてた時もあったのですね。
この当時は、見ての通りの車輛でした。
こういう列車がほぼなくなりましたねー…学生の自分にとってクルーズトレインだとかそんな高価なものには乗れないのでこういうのがほしいんですよね…
でもJR西日本がなんか新しい長距離列車を検討しているという情報があったのでそれが安くて学生でも手の届く範囲の夜行列車にぜひしてもらいたいところですね…
メッセージありがとうございます。
私もクルーズトレインは、高価で乗れないし、特に乗ろうともしませんね。
時代は、新幹線の短い時間で移動すると言う時代になってきているみたいで、このような列車はもうできないでしょうね。
夜行列車=寝台・・・・それをもう少しリッチにした個室って言うのが限界かもしれません。
国鉄時代の素敵な動画ありがとうございます。1982年長万部からこの列車に乗って鹿部駅で下車、市街地まで歩きました。駅舎を出るとき心配した駅員の方が声をかけてくれたことを思い出します。鉄道映像遺産として残してもらいたいです。
走行音もありますので。
ruclips.net/video/AXuw8s5vYKQ/видео.html
最高の映像をありがとうございます。
私は中学生の頃、鉄道が好きで本を読み漁っていた時期がありました。
そこで数字だけの列車番号は客車列車だということを知りました。
当時は関西に住んでおり、時刻表を眺めていたら偶然福知山線に数字だけの列車番号を見つけて乗りに行ったことがありました。
DD51が牽引する列車はまさにこの映像と同じような古い客車でした。
開けっ放しのドアからの景色はスリル満点で淀川の鉄橋を渡るときはヒヤヒヤしたのを思い出しました。
この映像のラスト、警笛がなった後にピアノ演奏が始まる演出が映画のようで素敵でした。
素敵な動画をありがとうございました。しばしのタイムスリップを楽しみました。
こんな列車が大阪駅を発車すると言う事もすごく不思議な感じでしたと思います。
まわりは、近代的な電車ばかり、この汽車一体どこへ行くやつや!なんて思う人も居たかもしれませんね。
なんかこの映像を見ていると寅さんが乗ってそう、男はつらいよで寅さんとリリーさんが初めて出会ったのも釧路行きの夜行列車でしたしね。
汽車の窓から見える畑の奥の家の灯りに想いを馳せながら汽笛を聴きながら揺られる夜汽車の旅、良いですね。
そうなんですか。私は寅さんの映画はあまり見ないので知りませんでしたが、夜汽車ってそんな場面にも使われてたのですね。
旅するのが楽しかった国鉄時代を思い出させてくれる懐かしい映像を、ありがとうございました。
昭和56年12月、八甲田丸から初めて北海道に上陸して乗り継いだのが、この列車と逆方面の函館発札幌行の夜行普通列車でした。
荷物専用列車のオマケのように客車は2両だけで、いつの間にか眠ってしまいハッ!として目を覚ますと、もう札幌まであと少しの辺りで、車内が通勤ラッシュで混雑していて驚きました。
もう一度だけでいいから、旧型客車の長距離列車で旅がしたいです。
そうそう、この列車、私が札幌から乗った時も小樽までは通勤客で、一杯で、通路も歩けない状態だったのです。
通勤列車と夜行列車の2つの顔があるのですね。
1985年7月&1986年3月に乗りました‼️
85年には、北海道名物?元祖カーペットカーが連結されていて迷わず乗りました‼️86年は一般座席車でしたが、時節柄「旧客夜行は多分最後」だと心して乗りました‼️そして、JR化までもたずに廃止。
へえ~ カーペットカーってどんなのだろう。
青函連絡船のようにごろ寝出来るのかな?
@@HobbyVideos だいたい同じです。しかも、「自由席」というところまで…指定席か乗車整理券にすれば増収になったのに…まぁ、当時の国鉄が宣伝下手で?、適度な乗車率でしたが…
大昔急行ノサップの床が廃油で拭き込んだ木の床にビックリしたのを思い出しました
2両のエアコンのない使い古したキハ22? 1983年頃です
故郷四国の列車の普通列車も手ひどいボロでしたが笑
懐かしい映像ですね
HIーC 冷凍ミカン 紐で編んだこれぞ網棚…
楽しみに見ています
急行ノサップってキハ22だったのですか?
北海道の車輛は、普通列車の車輛でも、デッキが両端にあって、急行列車としても使えそうですね。
この当時は、もうこんな列車すぐになくなるであろう・・・・・いや走っていることが不思議と思い、必死で撮影しました。
今の網棚は網と違いますもんね。でも、今でも、網棚と言う言葉が残っているし、普通に使っていますね。
かつては422列車で釧路発であった。所要時間は釧路ー函館で20時間52分。
メッセージありがとうございます。
それは、知りませんでした。そんな時代が有ったのですね。
SLだったのかな?
冬、雪が降ったら、ダイヤが乱れなかったのかな?
でも、昔は、今みたいに道路が発達していなかったから、大雪の時でも鉄道が唯一の心強い移動手段だったのかもしれませんね。
中学校を卒業し青森県から宮城県の高校へ 帰省は上野発、夜行列車"八甲田" 記憶が蘇ります。
メッセージありがとうございます。
八甲田は東北本線経由の青森と上野間の急行ですね。
私は、学生時代、東北ワイド周遊券で、東北を旅行中、八甲田には時々乗りました。
旧型客車でしたが、内装は金属でした。
色々と有りますけど、やはり冬はこんだけ雪がないとどうも拍子抜けですねぇ。
寒い中の撮影、お疲れ様でした。
そうですね。やはり雪も適当に降ってくれないと、北海道の雪祭り関係は盛り上がらないですからね。
最後尾が1号車なのは当然なのですが、荷物車は必ず本州向きに連結されておりましたよね。
終着に付くと荷物の積み込みを急ぎ連絡船へと運ばれて行き、本州からの荷物車を再び連結し、道中へと向かっていたのですよね。当時は相当忙しい作業だったと思われますね。
荷物の事は、この当時考える余地もなく必死で寒さに耐えながら撮影してました。
考えてみると、そうですね。函館で荷物車だけ、切り離して連絡船に乗せていたのかな?
鈍行懐かしく見ている、昭和34年中学校の修学旅行で函館駅迄行、青函船で青森、十和田湖に行った時行きかえり使用した。
メッセージありがとうございます。
修学旅行でこんな列車に乗るなんて、羨ましいですね。
私は中学校の頃の修学旅行は、近鉄の8000系、0系新幹線、富士急行のバスでした。
見知らぬ人同士が、向かい合って一夜を共に過ごす。同じ列車に乗っているのが、唯一の共通点。
そうですね。同じ時間を過ごす。
自分は訳ありで札幌から友人5人と長万部までこの列車に乗りました。
とても思い出のある列車です。
大変貴重な映像をありがとうございました。
どういたしまして!
私は、特急おおとりの撮影の帰りに乗ったのです。
この長い時間をもったいないと思うか、この時間こそ求めていた楽しみだと思うか。
朝までに届けたい荷物6両と人間2両の8両編成。車両の匂いまで伝わる作品をありがとうございました。本当にうらやましい。
ご視聴ありがとうございます。
そういえばこの頃、札幌~函館間を走る客車列車に(荷)(客)並結の列車が幾筋もありましたね。それも(荷)(客)共に別列車扱い、あくまで"二列車並結"扱いだったと覚えています。時刻表にも別々の欄に掲載されていましたし……何だかんだで、ノンビリした良き時代でしたね。
メッセージありがとうございます
そうですね。
特急はキハ82が食堂車を連結し、いかにも特別急行って感じで、普通はこんなボロイ客車。
旅を楽しむには、良い時代でした。
学生時代 13:55(うろ覚えですが・・・) 普通 函館行き 寮生活をしていた私はよくこの便で札幌から単独で帰省していました。
古びた客車に 込み合う乗客 小樽での機関車から気動車への交換 何もかも 今では懐かしいです
メッセージありがとうございます。
この列車に思い出がある人が多いですね。
私は、これ1回しか乗っていないんですが、それでも、私も、この列車が思い出となりました。
6:56~の手回しのブレーキハンドル(!)磐越西線の旧客で見た覚えがあります。画像でとはいえ、見たのは35年ぶり(笑)
メッセージありがとうございます。
やっぱり、知っている人は知っているのですね。
母と2人で長岡へ行く最中、向かいに座ったおじさんの駅弁を私が一緒に食べていたと聞かされました。
今では考えられないのでしょうけど、そういった人との繋がりが汽車にはありましたね。
昔の時代ですね。一緒に乗り合わせた人との出会いがあり、また別れが有る。
今は、車社会になって、そう言う出会いも無く、鉄道も普通列車での旅をする事はほとんどない状態かもしれませんね。
0:41 時刻表の一番右側に表示されている(荷物列車)の列車番号も46列車である。
荷物を扱わない駅は通過マークが表示されているが、小樽駅の時刻は同時刻である。
この列車の実態は荷物車が主で、2~3両の旅客車は従という事である。
どうも、そうらしいですね。そんな列車にこの当時一杯乗車していました。
特に札幌から小樽までは、通勤客が一杯で通路まで超満員の列車だったのです。
深夜の駅に降りる客、闇に響くタイフォン、カンテラを持つ駅員…
旅に出たくなるなぁ🎵
旅に出ましょう!
コロナなんか忘れて。
やっぱり客車列車がいいねえ。乗り心地は圧倒的に電車がいいんだけど風情が無い。客車の動き出すときのガックンがまたいい。デッキの扉も手動なので何時でも開けられた。ちあきなおみの歌の歌詞のように動き始めた汽車に飛び乗る事は今はできません。
メッセージありがとうございます
連結器の遊びによるショック。乗り心地は今の電車よりも悪いが、それが、また良いんですよね。やっぱ私も年なのかな!
動き始めた汽車に飛び乗る事は今はできないけど、ちょっと前までは、車両と車両の間につかまって飛び乗る事が出来たけど、今は、それもできないね。
この列車も、乗った事があります。
夜行の鈍行, 急行乗りたおしていたあの頃、乗らないうちに廃止されてしまったのが、
九州の鈍行
『雲仙』。
今でも、心残り...。
思い出の列車ですね。直角の椅子、今の人はこんな列車どう思うのかな。
先月、小樽から長万部まで列車で行こうとしたら、午前中の長万部は不可能なダイヤになっていて、蘭越までが限界でした。この頃は蘭越駅も駅員何人もいるなあ。今は定年直前の老駅員が一人だけの配置です。鈍行で函館まで行ける夜行列車が懐かしい。
メッセージありがとうございます。
昔も、小樽と長万部までは、列車本数も少なく不便でしたが、今の時刻表を見たら、もう廃止直前かなって感じがしました。
大体この時間は飲んだサラリーマンや出張帰りのビジネスマンと時々、何の商売だか分からない行商人やカニ族が多かったです。知り合いが寝過ごして小樽で下車が長万部まで行ってしまい、貨物列車の車掌車に便乗させてもらい戻ったなんて今ではあり得ないお話もありました。
メッセージありがとうございます。
小樽での過ごして長万部まで起きなかったのですか?
と言うより、中途半端なところで起きて、降りてもね。でも、貨物列車の車掌車に乗せてもらうなんて、貴重な経験ですね。
今では、あり得ない・・・・・そもそも、車掌車が無い(笑)
今から40数年前高校生の時、札幌から野田生の親戚に行く時に、このテの汽車に乗りました。
蒸気機関車ではなくてDD51型機の牽引だったけど、茶色の旧客車が懐かしいです。
40数年前だと、まだまだ茶色の旧型客車が一杯走っていたのではないかと思います。北海道以外にも。
さっき兄貴と電話してたら、この列車の話になった。
中学の卒業旅行で、千葉から浜小清水まで流氷を見に行った帰り、
札幌から函館まで夜行列車に乗った。
てっきり急行かなにかと記憶していたが、
兄曰く、それは普通列車だったはずで、
貨物列車に客車と連結したやつだと教えられた。
まったく記憶に残っておらず、改めて調べてみたら、
この動画に行き着いた。
そうそうこれこれ、
懐かしかった。
エンドロールに日付があり、
どうも自分が乗った日は、
撮影日のひと月後のようだ。
貴重な映像に感謝!
そんな、話をしていて、この動画にたどり着くなんて、良く見つけましたね。
それも、冬なので、季節は良く似た時期なのですね。
夜行なので通過する駅もあったので、急行かと思われたのではないでしょうか?
オニギリと缶ビールを持ち込んで、目をこすりながら、朝までのんびりと過ごしたい列車ですね。
メッセージありがとうございます。
いや~、そのうち寝てしまいますよ。
私も、もう少しで寝過すところでした。
これは貴重ですね。家庭のリングランプ(蛍光灯)のような照明と、高めの天井。座席も味があります。このような列車に乗って、あてもない旅に出たいと、最近無性に思います。ありがとうございました。
リングランプの蛍光灯ですね。
旧型客車と言う昔の客車です。つまり、系を持たないと言う客車ですね。12系とか、24系などの系を持たない。
私が、学生時代に、奥羽本線が電化されディーゼル特急つばさが、電車になると言う事で、ワイド周遊券で東北撮り鉄旅行をした事があります。
その時に、このような旧型客車が一杯あったのですが、蛍光灯の形も直管のやつ、リングランプのやつ、2列のやつ、1列のやつ、白熱電球のやつ、色々でした。乗った客車は、それぞれ特徴を書き残してあるのです。
いつかは、この当時の思い出をアップしようかと思っているのですが、何しろ学生時代です。スチール写真しかないので、アップしてもみんな見ないだろうなって思ったりしています。
私は、翌年の夏にカーペットカーで乗車しました。
懐かしい思い出が蘇ります。
デジカメやスマホもなく、のんびり揺られた時代
当時は鉄道少年なんて言われたりしていました。
貴重な動画を有難うございます。
どういたしまして!
私はこんな列車もう乗ることが無いだろうなって思い、撮影してました。
最後、車掌さん、誰に手を上げたんですかね?
何か、凄くいいですね!
メッセージありがとうございます。
実は、私がビデオを撮影していると、車掌さんとも色々と話が弾み、最後は、撮影している私に手を振ってくれたのです。私も、撮影しながら左手を上げてお別れしました。
私も、高松→高知の旧客で暇な?車掌と会話した事があります。まぁ、今はワンマン多いし…
北海道最後の夜に、同じハコに乗りました、夜汽車連泊のせいで、函館まで爆睡してしまい、写真1枚撮れませんでした、寝ている間に、こんな光景が繰り広げられていたのですねえ
メッセージありがとうございます。
乗ったのですか?このハコに!
寝ている間に、こんな光景が・・・・冬ですけどね。
夏だと、また雰囲気ちがったと思います。
乗られたのは、いつの季節かな?
国鉄時代の鉄道ファン
同じ年の2月末から3月頭まで、北海道旅行してましたので
わ~お
私は、2月末でした。23日に乗ったのかな。
その後なのかな?
国鉄時代氏の何日か後です、北海道でニアミスしてるかもしれませんね
ですね。
ビデオカメラとポーターブルビデオデッキ持った人、見なかった?
これまた素晴らしい映像ですね。
昭和60年の冬との事ですが、同じ年3月に北海道に行った時は全て近代化改造された青色のスハフ44でした。
茶色ニス塗りというだけで、すごく味があり、もっと昔に見えますね。
メッセージありがとうございます。
その通り。
私も、この茶色ニス塗りと言う車内が大好きで、山陰本線に行った時も、この茶色ニス塗りの客車を追いかけていました。
客車に荷物車やワムなどを連結して走っていたんですね
今じゃ見られない列車の映像をこうして見れるっていうのはありがたい
ううん、昔は客車列車は良く荷物を連結していました。
今は、荷物はトラックや、コンテナ―ですね。
逆です、ワムは有りません
動画を拝見させていただきました。 郵便車や荷物車がメイン?の編成ですね。それでも、旧型客車の室内は、味のある室内ですね。(今のJRの車両にはない、魅力があります。)
メッセージありがとうございます。
いや~~~~、これを魅力と言うか、なんというか、昔は、普通の車両だったのが、いまでは、魅力ある車両となってしまったのかもしれません。今では、大井川鉄道に行かないとこのような車両は乗れないし、しかも普通に乗れなくて予約をしないと乗れないのでは、無いでしょうか。
今見て感じられるだけ凄すぎる画像だね
そうですか!
当時は何も考えず、凄いなんて考えず、ただ嬉しくて撮影しまくっていたのです。
国鉄時代の汽車なつかしいです、親の田舎が昆布なので夏には良くいきました。急行らいでん で
メッセージありがとうございます。
撮影当時としても、都会で暮らしている者にとっては、懐かしかったです。
henntai1962
急行らいでん、最高だった。